続・曖昧は続かない

水槽のクジラ(vo.gt)

20170527-28

5/27

 

下北沢サウンドクルージングを観に行った

風知空知という弾き語りのハコ、場所はぼんやりわかっていたものの入り口が分からず(普段と違ったみたいで)めちゃくちゃ彷徨ってしまった 夏目栞さん、最後2曲くらいしか観れなかった ごめんなさい

色々バンドもソロの人も観た いい音楽やってる人は良かったし、よくわからん感じの人はよくわからなかった

 

ひょんな事からソロアーティストの方々その他諸々と路上で会話していたんだけど、本当にしっかりしてるなあ、と思った

一人でやっていくって、大変だものな 彼らはしっかりマネージメントの人もいたみたいではあるが、それでも基本は一人だし

僕はバンドというスタイルにかまけてる部分ある、少しだけ

 

深夜に観たいバンドかなりいたけど、翌日があったので終電で帰宅した

 

 

 

5/28

 

東京ビックサイトにて長田有かりさんの出店ブースにて弾き語り。ライブペイントと共に。

たのしかった。人めっちゃいた。持っていったCDも売れた。毎回あんな感じで弾き語りやりたい、って思いましたね ゆかりさんのお陰もあり濃密な40分を作れたんじゃないかと思う

限りなく透明な果実のサトルさんたちとも出会ったり、とにかく人と沢山出会った

 

人と出会うって自己を再認識できるからいいね、

他人は鏡 互いが互いを映し合うのである

 

自意識だけで生きてると人間じゃなくなっちゃうからな

 

 

 

 

 

こんな感じでほとんど文章を推敲しない日記を上げていこうかなあ、と思ってます

飽きたらというか、やっぱやめよ、と思ったらやめる

 

では。

 

20170526

あまりの寂しさにブログを書き始めてしまった

誰もいない、止まらないバス停で書いている 日高屋油そばとレモンサワーを飲んだ帰りに書いている

 

今日は渋谷キノトにてライブでした 単刀直入に、たのしかった 良い日でした

THURSDAY'S YOUTHのハジオさんに久々に会った とても褒めてくれたので嬉しいし僕はハジオさんが好きだ サーズデイユースになってからバンドが良くなったなって思ったからそれも伝えた 当然の手応え、といった表情だったハジオさん

すだっちさんも元気だった人当たりいいなあって思いながら会話していた

 

今思えばサックもとい、サースデイユースとのメンバーとの馴れ初め、なんだったっけな。全然思い出せん あまり品の良くない話だけど当時篠山さんが色々あってあまり好きじゃなかった いまはそんなこと思っていないし、篠山さん僕の事嫌ってたらなんだかアレだわゴメンナサイ。認識の入り口はそんな感じからキノトよく出るようになってハジオさんがスタッフしていてそれからだっけ関わるようになったの

なんだ割と覚え気味じゃないか

 

そしてこれはハジオさん日記かよこれは 笑った

どうせなのでもう一度言う、とても好きです

 

 

 

おかげで何書きたいか忘れてしまったよ でもとにかくやるせなくてしんどい気持ちになったのは覚えてる だから書き始めた

 

いつになっても満たされる事はないし、それでいいんだと思うのライブでなにか満たされたとしてもすぐすっからかんになってしまうなんにもないことが原動力なんですねきっとすごくつらいな

そしてそういうところから逃げるようになってしまって なんにもない すら無くなってしまった

感じがしてしまった

 

 

ライブ終わりだと言うのにすっきりしないブログだ!

もう帰ってねむります 

 

では

 

夢日記

 

志村貴子という何かのバンドをやっている女性が間違えてなければ昔おじいちゃん達が住んでいた家でバンドマン飲み会みたいな、ことをしていた 他にもzooqsの坂本くんがいた気がした

眉は少し濃かったけど、デニムのワンピースが似合うた細身の綺麗な女性だった

よく知らない男の人(バンドやってる人なのか?FF8のスコールを大人しく日本調にしたかんじのひと)と談笑をして、座敷みたいなとこで(じいちゃんちそんなのないけど)時々肩を寄せ合ったり、足を絡ませたりと何だかいやらしい感じだった いい人だったと記憶しているけれど なぜ?

 

形の思い出せない洗面台を使った

 

 

 

 

2016年冬に見た謎の夢のメモが出てきた 全く整合性がない なんかこわいなあ

さかさまの虹

与えるのではなく、引きずり出すようなものをつくりたい

僕はいつだって与えられるモノには興味が無かったように思う

 

そこに在る、ということがどれだけの価値があるのか 僕は知ってる。

そしてこういう思考は売り物にならないのか、ぼくはまだわからない。

 

もっと美しいものになりたいな 願う前に手を動かします 精進する

「かたちのおわり / かたちをかえて」のおはなし(後編)

 

後半です、それではいってみましょう。

 

 

 

 

 

 

「飛べないこどもたち」

 

この曲だけ、丁度去年に制作している頃(日付を見たら2015.12/26に書かれていた)のセルフライナーノーツようなものがあったので、どうせならと思いソレを掲載してみます。

 

 

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この曲は我がギタリスト原田くんとの共作です。

 

元の楽曲ネタを原田くんが持ってきたので、歌詞の原案をお任せしてみようと思って作ってもらって、僕がそこから手を加える、といった形でつくりました。

原案の歌詞は、僕的解釈で大まかに「変わりたい」というのがテーマなのかな、と感じそれを軸に書きました。

 

僕と原田くんは、似てはいないんですが根本的なとこは何だか近いなあ、と思うところがあったりする。時間にルーズめなところ、など。(社会的にいけない)

ソレ以外にも感じたりすることはあって、共通項を辿り辿って行くと、僕たちは飛べないこどもみたいだと思ったのであります。

 

色々なものに縋って、大人のフリして生きている、情けのない子供なのです。

子供の頃に生えていた羽根で飛べるとまだ信じている、夢見すぎな大人なのです。

 

情けない、夢見がちな子供(大人)の希望的な歌です。

僕はやっぱり変わり続けたい。同じ季節をただ繰り返したくはない。

 

 

子供は自分の国で生きている人。社会性皆無の人。僕です。

 

大人と子供は別の生き物、です。

大人の国で、子供は上手に生きられるわけがない。つらい。

 

子供は子供と言われるのがとても嫌ですよね。

でも僕は子供でいたい。変わりたいけど。

 

 

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原文ママ、載せてあります。後半を読み返すの、少々恥ずかしいですね。

大人と子供、要するに社会性の有無だけだと言いたい。今となっては。

 

今聴いてみると、なんだか可愛い曲だと思います。ライブで割と演奏してるし、共作という事もあり思い入れの深い曲です。

 

ちなみに、蝶は繭にならないんです。知ってるとは思うんですが。

その中でもウスバシロチョウ、という彼だけが繭を作って蝶になるんです。

僕は蛹か繭になるのなら繭のほうがいいな、って思うんだけど、彼もそんな気持ちだったんでしょうか。友達になれる気がします。

 

 

 

「泡に帰す」

 

このアルバムで一番出来たのが古い楽曲で、2013年の5月くらいにはもっと別のアレンジでバンドで演奏していたし、もっと言えばメインのメロディは2012年の終わりくらいからありました。

すぐに演奏しなくなっちゃったけど、リアレンジしたものを聴かせたらそこからメンバーが拾ってくれて改めてバンドでやろう、って事で現在のかたちになりました。

 

デモ段階のものはここから聴けます。

 

soundcloud.com

 

 

 

作成された時期もあって、とてもパーソナルな楽曲です。

 

窓の内側から、無菌室のようなぼくの部屋で何となく杞憂ばかりを溜め込んで、解決をしようともしなかった自分。

惰性の暮らしとか、怠惰に身を任せて、そんなものには美しさなんてなかったのにね。

 

11階の窓辺から見る景色は、誰の手垢も感じられなくて綺麗だった。

誰とも共有できない、出来なくていい、ぼくだけの絶景。

 

そんなものがいつか見えなくなる、それすら憂うだけの、一切現実味のないかたちのおわりをずっと眺めていたような気がします、当時。

 

いつか見えなくなる、そして本当に見えなくなったもの。

指の隙間から、大切だったはずのものがこぼれ落ちていってしまった事に気付くまでのこと、を歌っています。

 

 

 

当時の、22歳ごろの僕の日記を元に歌詞も書かれています。もう日記は失念してしまったけど。

 

この曲を今作に入れられて、本当によかったと思います。(今作は過去曲の再録は無しにしようと、そう決めていたので)

 

演奏中に毎回泣きそうになる曲です。当時の事を思い出してしまう。

毎回グッと堪えてる。

 

 

 

 

「綻ぶ夏を解いて」

 

今作「かたちのおわり / かたちをかえて」を総括する楽曲を入れたくて作った曲です。

 

この曲をアルバムの最初に入れる、って計画があったんですが賛成を得られず断念、といった経緯もあります。

それを踏まえて いずれまた春に と曲を入れ替えてアルバムを聴いても面白いかも。ですね。

 

しかし結果、最後にこの曲でこの作品を終える事が出来てよかった。

当時の自分は何考えていたんだろう、とちょっと思ったりもする。

 

 

 

「青さで開いた 花は萎れる」という一節がありますが、それがこの曲の全てです。

若さから来る無知や瞬発力みたいな、煌めきはいつか枯れます。

それが尊いものだって事は分かるけれど、そんなものに縋らないで、って歌です。

 

いずれまた春に が外的なかたちのおわりの事を歌っているのに対して、こちらは極私的な、内面的な、青春の終わりについてを歌っています。

 

憧憬の中にすべてがあった、そしてそれはすべてじゃなくなってしまった。

どうやってここから生きていかなくてはいけないのだろう、そんなことに後ろ髪を引かれながら過ごしていくんです。

 

そしてそれでいいんです。

別に僕は強い人間じゃないけど、弱い人間でもなかった。

 

前向きではないかもしれないけど、後ろ向きでもない、そうやって人生上手く生きていけたらいいですね。

 

 

 

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かたちをかえる、先の話はこの作品では提示していません。

それは僕たちが見つけないといけないこと、だから。

今回の作品はそんな僕自身、聞いてくれた方のきっかけになればいいなと、そう願っています。

 

 

 

もう年の瀬だけど、今年のまとめはしないです。今年はこの作品が僕の全てです。

 

この作品を通して付随して思ったことも全部昇華してこれからも純度の高い音楽を作り続けていきます、2017年。

 

では、皆様良いお年を。

 

 

 

「かたちのおわり / かたちをかえて」のおはなし (前編)

  

 

「かたちのおわり / かたちをかえて」解説前編です。
今になってやっと客観的に見れるようになったので、これが楽曲に対しての本心。当時恥ずかしくて言えなかった事もちゃんと喋れた、と思います。

 

楽曲だけを聴いていたい、などあまり自分の中のイメージを汚したくない方はここで戻るボタンなりホームボタンを押して戻るのがいいかも知れない。です。

 

 

 

 

 

 

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「いずれまた春に」


お別れの歌、かたちのおわりの歌、です。

MVのおかげで、異性とのお別れの曲のように思う人もいるのかも知れないですが、恋的要素以外の関係性であったり、環境であったり、様々なお別れについても、気持ちとしては歌っています。

 

過去にもお別れの歌はあったけど、それはもっと、悲しいものを悲しいと訴えかけるだけの、拙くて、何にも捨てきれなくて、挙げ句叫び散らしてしまうような、21歳の頃の歌だった。手放しでも廻る季節 という楽曲。

 

この頃から時間が経って、僕の僕である要素、みたいなものが宙ぶらりんになってしまって一時期精神がどん底に落ちていた。自分のかたちを見失ってしまったのだと思う。

そういう時期には色んな事がマイナスに働いてしまう、故に切りたくない関係を切ってしまうような出来事があった。

 

その出来事から、半年くらい経ってからこの曲の原型が出来たのと同時にこの一節が浮かんだ。

 

 

「いつのことかもう 思い出せないくらい 僕は変わっていく あなたも変わっていく」

 


悲しいかも知れないけど、そういうことだと思った。どうしたって、変わってしまうね。

 

…そして、僕はこれを悲しい事と思わなくなった。思えなくなった。
それは感性の死なのか、色々な事に鈍感になってしまったのか。

 

それでも僕は、後悔だとか杞憂に取り憑かれたまま生きるくらいなら、それでいいと思いました。
互いが向かうべきところで生きて、この歌の中の人とはもうきっとわかり合う事は出来ないのだと思うけれど。

 

かたちのおわり、とは僕なりの肯定の仕方です。
僕はずっと昔から、ただ励まされるようなモノには何も感じないような人間だったし、僕と同じような人に響いて欲しい。こういったものが必要な人はきっといる。

 

拙い言葉かも知れないが、今をどんなかたちであっても生きようとする事、それが一番美しい事だとぼくは思う。望まないかたちで、溺れたりしないように。

 

 

 

 

「からのそら」


無意識に人のこころを傷付けたりして過ごしていて、その癖上手にその気持ちに対して水をやれなかった、なんて独りよがりな気持ちを振り回した、なんて男根的な歌なのだろうと、思います。
いつだって体温にばかり許しを求めてしまっていたんです。そこに全てがあるとも思っていた。
我ながら、酷く情けない人間です。

 

技術面、と言うか楽曲を制作する際のコンセプトとしては

 

・今まで疾走感ある曲が無かったからそういう曲を作ろう!
・今までのクジラっぽくない曲を作ろう!
・雰囲気明るくいこう!

 

ってとこから始まった曲です。
いい具合にやりすぎず、いいバランスで完成まで至った曲だと思う。
そのお陰かライブで演奏することも多い。


個人的に、音源のミックスが一番好きな楽曲です。録りも良かった。
何だかんだで好き。

 

 

 


「残暑に枯れゆく」


僕が知る限りで、一番美しかった人の喪失の歌です。
といっても、当時は気付けなかったんですが、その美しさに。


中学生の頃の記憶で、いろんなモノが靄がかってはっきりしないけれど、その人の葬儀の時はボロボロに泣いてしまった記憶がある。葬儀のときに泣いてしまったのは今の今までを思い出してもこの時だけだった。


ここからとても極私的な話になってしまうが、その人が亡くなってから色んなもののバランスがおかしくなってしまった。
それは家庭環境であったり、身の回りの人間の関係性だったり。

中学生にとって、大体の人は家庭と学校が世界の全てだとぼくは思うんですが (今はSNSやらで違う世界に飛び込んでいきやすいとも思うけど、僕が中学生の頃はギリギリ無かった) そんな前述の例に漏れない人間だったので、その中でおかしくなっていくものに抗えなかった。

僕が割と卑屈に育ってしまったのはこの出来事が引き金、と言うよりは境目だったのかな、と記憶を辿った際に感じました。
喪失したら色々なものが狂ってしまう位、みんなにとって、なくてはならない存在だったんですね。


…この歳になって気づくこと。
振り返ってみてその人の美しさというものは、一貫して強く正しくあれと、生き様で、教えてくれたからなのだと思った。
誰にでも分け隔てなく厳しくて、それと同じくらいに本当の優しさも持ち合わせた人でした。

教えてくれた事を尊守出来てるか、と言われると笑ってごまかしたくなるけれど。
それでも間違いなく僕の中で生きている。今になって記憶を引っ張り出して、気付けただけでもあなたの生きていた意味はあったって思う。

 

なんて、都合が良すぎるかな。

でも、自分の信念を持って強く正しく生きれば、死んだ後も眩しく、誰かの中で生き続けることが出来るんです。僕はそう思っています。

 

彼女を思い浮かべては、それが最後に僕に教えてくれた事なのだと実感します。
記憶は薄れていくものだから、これ以上薄れないように、と楽曲として遺しました。

いつかはもうない、から。


とても大切な楽曲です。あんまりライブで演奏しないんですけどね。

そんなライブで演奏するときは冒頭から爆音出せるから好き。音は何処までもラウドで在りたい。

 


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後編もある。年内には。