続・曖昧は続かない

水槽のクジラ(vo.gt)

雑記_1

 

・疲弊しきった身体から出て来る言葉ってのはすんごいフラットだ 自分の言葉ながらにハッとする 

 

・もう僕の人生に関わる事が無くなった人の影が見当たるはずのないところでちらついた。その影を見つけた僕はそれを拾って帰りたい、なんて。未だこの白いTシャツの裾を小さな重力に打ち付けられていたことに気付くのだ。ああ恥ずかしい!

 

・掛け値のない友人と飲んだ 元メンバーもいるしアレだけど 彼は友人というポジションなのかはすごく難しいけど でもみんな健やかに幸せをつかんで生きて欲しいって気持ちだけは本当だ。嘘がないって事だけが僕らを正しくここに立たせてくれる。これからもそう在る。

おもひでオーヴァードライヴ

 

10/14、さぬんさんの日、楽しみだな。‪やっぱりキノトは僕にとって特別なライブハウスなのだと感じる。

ダメになるまで朝までテキーラ飲み干した事とか、そのままの身体で気付いたら電車乗って栃木まで眠ってた事とか。僕らの企画で打ち上げ最後まで残ってくれてた友人達が裸になったり思い切りビンタされたり。未だにあの時の写真残ってるな…。

お酒で記憶を飛ばしたのもキノトで初めてだった。あの時はniente.とかplot scrapsとかハルカミライとかいたな…

 

…打ち上げの事ばかりだわ

打ち上げ以外も色々あったけど、それはまた別のタイミングで。

 

僕は大学というところには行かなかったし、恐らくこれからも行かないだろうし、こんな出来事たちが僕の想像し得る学生生活の陽の部分のように、感知しては掴めずすり抜けていく、何よりも尊い時間でした。

 

 

 

青春を一つ一つ、押入れに仕舞っていく。そんな出来事たちが立て続けに起こる。今年はそんな年なのかも知れない。そして空になった部屋には何が残るだろう。それがたとえ小さかったとしても、まぶしいものでありますように。

 

 

 

ぼくはもうなにもきみにわたせはしない

 

本当にその歌詞の一節を話していたんだ、という話を聞いた。僕が久々にカラオケに行った時に歌った歌を友人が聴いて「國光くん、わたしにこれ言ってきたんだよね」って。

 

 

彼の言葉を引き金に 僕は君に何を渡せるんだろう と考えるけれど、きっと僕は渡すどころか緩やかに奪ってきた側の人間なんだと思う。感性とか思想とか仕草とか、口癖とか。君になりたいと思って。僕は僕で在りたいのに。

 

今の僕は奪いたいものなんてないし、僕の持ち得る全てのことを注ぎたい。そういう風に思える人と一緒に人生を過ごしていきたい。もう空っぽのスポンジに愛みたいなものを染み込ませるような事はしたくない。

 

 

「僕はもう何も君に渡せはしない。」

 

 

ずっと見ていた夢から覚めれば、美しい自死なんてのは存在しなかった事に気付く。だから僕は生き続けてやりたい。それが決して美しい行為ではないとしても。

 

 

『僕はまだ何かを君に渡せるから。』

 

 

 

可笑しくって飛べそうな空

 

やたらときみのシャンプーのにおいがしてしまう帰り道。これは何処にでもあるドラッグストアのにおいで、恐らく君は量産型。そんなところが可愛らしいのだと思いながら、帰路につく。

 

特別さなんて、誰にもきみにもあまり必要ない事なんだって思う。そしてそんな変わり得ない、代わり得ない美しさのことを信じています。

 

 

おともだち

 

青春のおわりに指の隙間からほろほろとこぼれ落ちた人達が沢山いる。君の意識からも僕の意識からも随分遠退いてしまった。それはカーテンの奥に見える陽のような、確かに曖昧にそこにあってさわれないもの。

 

今どんな髪型をしてるとか、色々愚痴を聞いた恋人の話は今どうなったとか、数多の友人のことが気になりはするけどいまは僕にとって必要の無い、君にとっても必要の無い存在であるのでしょう。

 

でも実際悲しさも寂しさもなくて、お互い生き続けていればたぶんまた結び合うだろうし結び目は固すぎず緩すぎずが丁度いい。必要がないのに離れられないのは苦しい。でも靴の紐は固めに結んだ方がいい。アレは少しも解けなくていい。

 

 

 

昨日の日記は死人のような見え方をしてしまった気がするが、僕は割と元気です。以前メンバー募集したバンドをあくせく動かしている。期待してくれ。

さわらないでね

 

ふと、やさしいからだ という漫画の最終話を思い出す。大気汚染が進んで人類が皆薄い膜の羊水入りのスーツに身を包んで暮らしていて、それを破ってしまえば生きてはいけない人たちのお話なんですが、この羊水入りのスーツは今の僕に置き換えれば「水槽のクジラ」だったんだなと、思う。守られていたんです。バンドは青春で、出来上がった青春の檻が僕をやさしく守ってくれた。そして僕をやさしく閉じ込めていた。

 

この漫画の最後、男の子が意中の女の子にスーツ越しではなくて直に触れたいと気持ちを伝え、スーツを着替える羊水室(外気の触れない、いわゆる無菌室のようなところ)に2人で入るのですが、羊水に浸って全身粘膜のようになってしまった身体は触れれば傷付くしかないくらいの状態になってしまっていて、触れる事に怯える、ってところでお話は終わるのだけど。

 

僕も同じように、 怖かったんです。青春の檻を壊すことが。

 

青春は化け物で、結局僕を在りたい形に保ってはくれるものではなくて 気付けば彼らのように全身が粘膜のようになっていたのだと思う。今だって、粘膜は乾けどもケロイドになりきれないままの肌、なんです。

 

僕は今、どんなかたちを成しているかは分からない。

自分で自分の姿を見ることは出来ないのが悲しい。鏡はいつだって嘘をついているし、ほんとうのかたちを教えてはくれない。だからせめて君の目に映る僕が、少しでもうつくしいもので在れたらと願うばかりです。