続・曖昧は続かない

水槽のクジラ(vo.gt)

ぼくはもうなにもきみにわたせはしない

 

本当にその歌詞の一節を話していたんだ、という話を聞いた。僕が久々にカラオケに行った時に歌った歌を友人が聴いて「國光くん、わたしにこれ言ってきたんだよね」って。

 

 

彼の言葉を引き金に 僕は君に何を渡せるんだろう と考えるけれど、きっと僕は渡すどころか緩やかに奪ってきた側の人間なんだと思う。感性とか思想とか仕草とか、口癖とか。君になりたいと思って。僕は僕で在りたいのに。

 

今の僕は奪いたいものなんてないし、僕の持ち得る全てのことを注ぎたい。そういう風に思える人と一緒に人生を過ごしていきたい。もう空っぽのスポンジに愛みたいなものを染み込ませるような事はしたくない。

 

 

「僕はもう何も君に渡せはしない。」

 

 

ずっと見ていた夢から覚めれば、美しい自死なんてのは存在しなかった事に気付く。だから僕は生き続けてやりたい。それが決して美しい行為ではないとしても。

 

 

『僕はまだ何かを君に渡せるから。』

 

 

 

可笑しくって飛べそうな空

 

やたらときみのシャンプーのにおいがしてしまう帰り道。これは何処にでもあるドラッグストアのにおいで、恐らく君は量産型。そんなところが可愛らしいのだと思いながら、帰路につく。

 

特別さなんて、誰にもきみにもあまり必要ない事なんだって思う。そしてそんな変わり得ない、代わり得ない美しさのことを信じています。

 

 

おともだち

 

青春のおわりに指の隙間からほろほろとこぼれ落ちた人達が沢山いる。君の意識からも僕の意識からも随分遠退いてしまった。それはカーテンの奥に見える陽のような、確かに曖昧にそこにあってさわれないもの。

 

今どんな髪型をしてるとか、色々愚痴を聞いた恋人の話は今どうなったとか、数多の友人のことが気になりはするけどいまは僕にとって必要の無い、君にとっても必要の無い存在であるのでしょう。

 

でも実際悲しさも寂しさもなくて、お互い生き続けていればたぶんまた結び合うだろうし結び目は固すぎず緩すぎずが丁度いい。必要がないのに離れられないのは苦しい。でも靴の紐は固めに結んだ方がいい。アレは少しも解けなくていい。

 

 

 

昨日の日記は死人のような見え方をしてしまった気がするが、僕は割と元気です。以前メンバー募集したバンドをあくせく動かしている。期待してくれ。

さわらないでね

 

ふと、やさしいからだ という漫画の最終話を思い出す。大気汚染が進んで人類が皆薄い膜の羊水入りのスーツに身を包んで暮らしていて、それを破ってしまえば生きてはいけない人たちのお話なんですが、この羊水入りのスーツは今の僕に置き換えれば「水槽のクジラ」だったんだなと、思う。守られていたんです。バンドは青春で、出来上がった青春の檻が僕をやさしく守ってくれた。そして僕をやさしく閉じ込めていた。

 

この漫画の最後、男の子が意中の女の子にスーツ越しではなくて直に触れたいと気持ちを伝え、スーツを着替える羊水室(外気の触れない、いわゆる無菌室のようなところ)に2人で入るのですが、羊水に浸って全身粘膜のようになってしまった身体は触れれば傷付くしかないくらいの状態になってしまっていて、触れる事に怯える、ってところでお話は終わるのだけど。

 

僕も同じように、 怖かったんです。青春の檻を壊すことが。

 

青春は化け物で、結局僕を在りたい形に保ってはくれるものではなくて 気付けば彼らのように全身が粘膜のようになっていたのだと思う。今だって、粘膜は乾けどもケロイドになりきれないままの肌、なんです。

 

僕は今、どんなかたちを成しているかは分からない。

自分で自分の姿を見ることは出来ないのが悲しい。鏡はいつだって嘘をついているし、ほんとうのかたちを教えてはくれない。だからせめて君の目に映る僕が、少しでもうつくしいもので在れたらと願うばかりです。

 

 

はちがつ

僕をやさしく呪っていた守ってくれていた この春色のケロイドも随分と肌の色に馴染んで もうなんでもない思い出になっていきました。

それは望んでいたこと。だけど今この胸の収まりは悪くて、結局は不安と憂鬱で満たしている事が安心な人間だったって事に気がつく。恥の多い人間です

 

なにもないことすら失くしてしまった。

そう思ってたけど 実際身の回りにはちゃんと愛すべきものがたくさんあったし、自分自身にもちゃんと枯れずに生きていた想いがあった 

 

ベタ過ぎる話だけど、おわりははじまり って事なんだね

大切な青を抱いて生きるような事はもう出来なくていい それでいい

 

青春のおわり

 

ワンマンから一週間以上が経ってしまった。

現編成での最後の演奏を聴きに来てくれた皆様、本当にありがとうございました。

そして、少しでも気にかけてくれたみんなも。本当にありがとう。

 

バンドは終わらない、けど明確に青春は終わりました。

今回のワンマンのタイトルにもなった「かたちのおわり / かたちをかえて」という僕らが初めて出した全国流通盤は、極個人の話だが青春の終わらせるための作品だった。

だから、あの作品を出して 本当は一度死んでるんだと思います。青春に縋った自分がうまく生きれるようにするために、これからもうつくしいもの見れるようにするために。でも、結局縋っていたんですね。

 

僕はワンマンのとき 覆水盆に返らず ということわざの話をしたけど、返してしまったのは自分の青春でもあるし、人間関係でもあると思うし、言い尽くせない色んなものが取り返せないものになっていきました。

でも、僕はまた新しく水を注げるとも思っているし それが人生において一番幸せであったりうつくしいものを見るための最善の方法なのだとも思っています。

 

僕以外の脱退の理由、そんな感じでしょうか。

各々に各々の理由があるし、簡潔に言うならそれぞれが別のところへ向かうため、です。わざわざ言わなくても感じてくれてると思うけど。

 

僕はクジラもそうだし、新しくバンドも始めてみるし、色々吹っ切れてるのでこれからを楽しみにしててほしいです。

僕は音楽家で、音楽を続ける歌を歌うことでしか証明できないと思うので。色々すぐにお知らせできないことだけが申し訳ないのだけど。

 

 

何にせよ、これからもどうぞよろしくね。

 

水槽のクジラ

vo.gt 西田諒平