続・曖昧は続かない

水槽のクジラ(vo.gt)

「かたちのおわり / かたちをかえて」のおはなし(後編)

 

後半です、それではいってみましょう。

 

 

 

 

 

 

「飛べないこどもたち」

 

この曲だけ、丁度去年に制作している頃(日付を見たら2015.12/26に書かれていた)のセルフライナーノーツようなものがあったので、どうせならと思いソレを掲載してみます。

 

 

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この曲は我がギタリスト原田くんとの共作です。

 

元の楽曲ネタを原田くんが持ってきたので、歌詞の原案をお任せしてみようと思って作ってもらって、僕がそこから手を加える、といった形でつくりました。

原案の歌詞は、僕的解釈で大まかに「変わりたい」というのがテーマなのかな、と感じそれを軸に書きました。

 

僕と原田くんは、似てはいないんですが根本的なとこは何だか近いなあ、と思うところがあったりする。時間にルーズめなところ、など。(社会的にいけない)

ソレ以外にも感じたりすることはあって、共通項を辿り辿って行くと、僕たちは飛べないこどもみたいだと思ったのであります。

 

色々なものに縋って、大人のフリして生きている、情けのない子供なのです。

子供の頃に生えていた羽根で飛べるとまだ信じている、夢見すぎな大人なのです。

 

情けない、夢見がちな子供(大人)の希望的な歌です。

僕はやっぱり変わり続けたい。同じ季節をただ繰り返したくはない。

 

 

子供は自分の国で生きている人。社会性皆無の人。僕です。

 

大人と子供は別の生き物、です。

大人の国で、子供は上手に生きられるわけがない。つらい。

 

子供は子供と言われるのがとても嫌ですよね。

でも僕は子供でいたい。変わりたいけど。

 

 

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原文ママ、載せてあります。後半を読み返すの、少々恥ずかしいですね。

大人と子供、要するに社会性の有無だけだと言いたい。今となっては。

 

今聴いてみると、なんだか可愛い曲だと思います。ライブで割と演奏してるし、共作という事もあり思い入れの深い曲です。

 

ちなみに、蝶は繭にならないんです。知ってるとは思うんですが。

その中でもウスバシロチョウ、という彼だけが繭を作って蝶になるんです。

僕は蛹か繭になるのなら繭のほうがいいな、って思うんだけど、彼もそんな気持ちだったんでしょうか。友達になれる気がします。

 

 

 

「泡に帰す」

 

このアルバムで一番出来たのが古い楽曲で、2013年の5月くらいにはもっと別のアレンジでバンドで演奏していたし、もっと言えばメインのメロディは2012年の終わりくらいからありました。

すぐに演奏しなくなっちゃったけど、リアレンジしたものを聴かせたらそこからメンバーが拾ってくれて改めてバンドでやろう、って事で現在のかたちになりました。

 

デモ段階のものはここから聴けます。

 

soundcloud.com

 

 

 

作成された時期もあって、とてもパーソナルな楽曲です。

 

窓の内側から、無菌室のようなぼくの部屋で何となく杞憂ばかりを溜め込んで、解決をしようともしなかった自分。

惰性の暮らしとか、怠惰に身を任せて、そんなものには美しさなんてなかったのにね。

 

11階の窓辺から見る景色は、誰の手垢も感じられなくて綺麗だった。

誰とも共有できない、出来なくていい、ぼくだけの絶景。

 

そんなものがいつか見えなくなる、それすら憂うだけの、一切現実味のないかたちのおわりをずっと眺めていたような気がします、当時。

 

いつか見えなくなる、そして本当に見えなくなったもの。

指の隙間から、大切だったはずのものがこぼれ落ちていってしまった事に気付くまでのこと、を歌っています。

 

 

 

当時の、22歳ごろの僕の日記を元に歌詞も書かれています。もう日記は失念してしまったけど。

 

この曲を今作に入れられて、本当によかったと思います。(今作は過去曲の再録は無しにしようと、そう決めていたので)

 

演奏中に毎回泣きそうになる曲です。当時の事を思い出してしまう。

毎回グッと堪えてる。

 

 

 

 

「綻ぶ夏を解いて」

 

今作「かたちのおわり / かたちをかえて」を総括する楽曲を入れたくて作った曲です。

 

この曲をアルバムの最初に入れる、って計画があったんですが賛成を得られず断念、といった経緯もあります。

それを踏まえて いずれまた春に と曲を入れ替えてアルバムを聴いても面白いかも。ですね。

 

しかし結果、最後にこの曲でこの作品を終える事が出来てよかった。

当時の自分は何考えていたんだろう、とちょっと思ったりもする。

 

 

 

「青さで開いた 花は萎れる」という一節がありますが、それがこの曲の全てです。

若さから来る無知や瞬発力みたいな、煌めきはいつか枯れます。

それが尊いものだって事は分かるけれど、そんなものに縋らないで、って歌です。

 

いずれまた春に が外的なかたちのおわりの事を歌っているのに対して、こちらは極私的な、内面的な、青春の終わりについてを歌っています。

 

憧憬の中にすべてがあった、そしてそれはすべてじゃなくなってしまった。

どうやってここから生きていかなくてはいけないのだろう、そんなことに後ろ髪を引かれながら過ごしていくんです。

 

そしてそれでいいんです。

別に僕は強い人間じゃないけど、弱い人間でもなかった。

 

前向きではないかもしれないけど、後ろ向きでもない、そうやって人生上手く生きていけたらいいですね。

 

 

 

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かたちをかえる、先の話はこの作品では提示していません。

それは僕たちが見つけないといけないこと、だから。

今回の作品はそんな僕自身、聞いてくれた方のきっかけになればいいなと、そう願っています。

 

 

 

もう年の瀬だけど、今年のまとめはしないです。今年はこの作品が僕の全てです。

 

この作品を通して付随して思ったことも全部昇華してこれからも純度の高い音楽を作り続けていきます、2017年。

 

では、皆様良いお年を。

 

 

 

「かたちのおわり / かたちをかえて」のおはなし (前編)

  

 

「かたちのおわり / かたちをかえて」解説前編です。
今になってやっと客観的に見れるようになったので、これが楽曲に対しての本心。当時恥ずかしくて言えなかった事もちゃんと喋れた、と思います。

 

楽曲だけを聴いていたい、などあまり自分の中のイメージを汚したくない方はここで戻るボタンなりホームボタンを押して戻るのがいいかも知れない。です。

 

 

 

 

 

 

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「いずれまた春に」


お別れの歌、かたちのおわりの歌、です。

MVのおかげで、異性とのお別れの曲のように思う人もいるのかも知れないですが、恋的要素以外の関係性であったり、環境であったり、様々なお別れについても、気持ちとしては歌っています。

 

過去にもお別れの歌はあったけど、それはもっと、悲しいものを悲しいと訴えかけるだけの、拙くて、何にも捨てきれなくて、挙げ句叫び散らしてしまうような、21歳の頃の歌だった。手放しでも廻る季節 という楽曲。

 

この頃から時間が経って、僕の僕である要素、みたいなものが宙ぶらりんになってしまって一時期精神がどん底に落ちていた。自分のかたちを見失ってしまったのだと思う。

そういう時期には色んな事がマイナスに働いてしまう、故に切りたくない関係を切ってしまうような出来事があった。

 

その出来事から、半年くらい経ってからこの曲の原型が出来たのと同時にこの一節が浮かんだ。

 

 

「いつのことかもう 思い出せないくらい 僕は変わっていく あなたも変わっていく」

 


悲しいかも知れないけど、そういうことだと思った。どうしたって、変わってしまうね。

 

…そして、僕はこれを悲しい事と思わなくなった。思えなくなった。
それは感性の死なのか、色々な事に鈍感になってしまったのか。

 

それでも僕は、後悔だとか杞憂に取り憑かれたまま生きるくらいなら、それでいいと思いました。
互いが向かうべきところで生きて、この歌の中の人とはもうきっとわかり合う事は出来ないのだと思うけれど。

 

かたちのおわり、とは僕なりの肯定の仕方です。
僕はずっと昔から、ただ励まされるようなモノには何も感じないような人間だったし、僕と同じような人に響いて欲しい。こういったものが必要な人はきっといる。

 

拙い言葉かも知れないが、今をどんなかたちであっても生きようとする事、それが一番美しい事だとぼくは思う。望まないかたちで、溺れたりしないように。

 

 

 

 

「からのそら」


無意識に人のこころを傷付けたりして過ごしていて、その癖上手にその気持ちに対して水をやれなかった、なんて独りよがりな気持ちを振り回した、なんて男根的な歌なのだろうと、思います。
いつだって体温にばかり許しを求めてしまっていたんです。そこに全てがあるとも思っていた。
我ながら、酷く情けない人間です。

 

技術面、と言うか楽曲を制作する際のコンセプトとしては

 

・今まで疾走感ある曲が無かったからそういう曲を作ろう!
・今までのクジラっぽくない曲を作ろう!
・雰囲気明るくいこう!

 

ってとこから始まった曲です。
いい具合にやりすぎず、いいバランスで完成まで至った曲だと思う。
そのお陰かライブで演奏することも多い。


個人的に、音源のミックスが一番好きな楽曲です。録りも良かった。
何だかんだで好き。

 

 

 


「残暑に枯れゆく」


僕が知る限りで、一番美しかった人の喪失の歌です。
といっても、当時は気付けなかったんですが、その美しさに。


中学生の頃の記憶で、いろんなモノが靄がかってはっきりしないけれど、その人の葬儀の時はボロボロに泣いてしまった記憶がある。葬儀のときに泣いてしまったのは今の今までを思い出してもこの時だけだった。


ここからとても極私的な話になってしまうが、その人が亡くなってから色んなもののバランスがおかしくなってしまった。
それは家庭環境であったり、身の回りの人間の関係性だったり。

中学生にとって、大体の人は家庭と学校が世界の全てだとぼくは思うんですが (今はSNSやらで違う世界に飛び込んでいきやすいとも思うけど、僕が中学生の頃はギリギリ無かった) そんな前述の例に漏れない人間だったので、その中でおかしくなっていくものに抗えなかった。

僕が割と卑屈に育ってしまったのはこの出来事が引き金、と言うよりは境目だったのかな、と記憶を辿った際に感じました。
喪失したら色々なものが狂ってしまう位、みんなにとって、なくてはならない存在だったんですね。


…この歳になって気づくこと。
振り返ってみてその人の美しさというものは、一貫して強く正しくあれと、生き様で、教えてくれたからなのだと思った。
誰にでも分け隔てなく厳しくて、それと同じくらいに本当の優しさも持ち合わせた人でした。

教えてくれた事を尊守出来てるか、と言われると笑ってごまかしたくなるけれど。
それでも間違いなく僕の中で生きている。今になって記憶を引っ張り出して、気付けただけでもあなたの生きていた意味はあったって思う。

 

なんて、都合が良すぎるかな。

でも、自分の信念を持って強く正しく生きれば、死んだ後も眩しく、誰かの中で生き続けることが出来るんです。僕はそう思っています。

 

彼女を思い浮かべては、それが最後に僕に教えてくれた事なのだと実感します。
記憶は薄れていくものだから、これ以上薄れないように、と楽曲として遺しました。

いつかはもうない、から。


とても大切な楽曲です。あんまりライブで演奏しないんですけどね。

そんなライブで演奏するときは冒頭から爆音出せるから好き。音は何処までもラウドで在りたい。

 


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後編もある。年内には。

 

 

 

いずれまた春に

 

枯れてしまったね、
さくらの花は。
気付けば いつか
互い違えて 

心の襞の
中に隠した
花弁もまた
蕾になるくらいに 



遠い何処かで
夢見ていたんだ。 

結んだ 海も
ほどけていってしまう。 

情熱はどこか
深く眠って

今更、今更
何を思えば良かった? 



いつも笑って、
綺麗なままじゃ もう
いられないんだよ
時間だけが過ぎていく 

僕らはどうして
間違えてしまう?
望まない形で
どうして、溺れてしまうんだ? 



半透明の 窓には
僕と、君の街の匂い。 

「うまれていくこと、おわりはくるもの。」

気付いたって 何一つも
無くさないでいたかった。 



いつも笑って、
綺麗なままじゃ もう
いられないんだよ
時間だけが過ぎていく 

僕らはどうして
間違えてしまう?
望まない形で
もう、溺れはしないように! 


いつの事かもう
思い出せないくらい
僕は変わっていく
あなたも変わっていく 

互い違い重なる
廻り廻る 季節に
枯れていった僕らが
笑い合える事を。



 

2016 0521

 

facebookに投稿した文。流れていってしまうのは嫌なので、忘れぬように。

 

 

 

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僕のやっている「水槽のクジラ」というバンドが2016年7月6日に1st mini album「かたちのおわり / かたちをかえて」を全国リリースすることが決定しました。

ようやっと、です。めでたいね。

 

既に沢山のおめでとうだったり、嬉しい言葉を頂いたんですが、僕はこれからも音楽をして音楽を続けていきたいし、このリリースはそれを続けるためのきっかけでしかない、そう思っています。

ここがゴールではない。死んだりしない限りこれからも続く人生の末端でしかない、のであります。

 

こんな事言ってるんだけど、素直にお祝いされるのは嬉しい事なので沢山祝ってあげて下さい。

そしてリリース自体とても嬉しいとも思ってる。CD買ってよね!

 

 

肝心の作品ですが、初めて全国に出るものとして、申し分ないものが出来上がりました。

25歳になって、想像はしていたけどやっぱり身の回りの環境も人も変わって変わって変わって記憶の奥のほうにしか見つけられないものになったり、もう二度と会う事はない人になってしまったり。

僕はそういう「喪失」に対して怯えると言うか、無意識の抵抗があったんですがそれを少しだけ理解して受け入れられる様になりました。

 

…と言うよりは、緩やかに流れていく時間が、僕からかたちを奪っていったのかも知れない。そして、それに気付いてしまったのかも。

 

僕は、諦めてしまったのかも知れない。

 

 

なんて書くとネガティブだな。

なんだろう、これをマイナスな事と思わなくなったんですね。諦めることも。

悲しくたって、後ろ髪を引かれたとしても、それでいいね、と思うのです。

 

 

 

前置きが長くなってしまったけど、水槽のクジラなりのポップソング集になったと思います。

 

全部がキラキラして見えたあの頃には戻れないですが、その頃を少し思い出したりしてもいいんじゃない?

それを通して僕らは今を認識して前を向ければいいね。

 

そんなアルバムです。

 

 

 

後は、7/6にタワレコとか色んな所で買えるようになるので買って聴いて下さい。

冒頭でも言ったけど、僕はこれからも音楽をして音楽を続けたいので本当に買って欲しいです。ここまでしんどい事も沢山あったのだ、ちょっとは報われたい。

 

 

というわけで、水槽のクジラと、新しい音源をどうぞよろしくお願い致します。

  

めちゃめちゃいいよ、新音源。

 

 

 

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以上です。

いずれ作品についての解説もしようかと思います。

 

 

にしだ

 

 

 

開け放つ窓

 

 

朝 目が覚めたら

ここにはいられなくなる

二時はもう過ぎていた

ここにはいられなくなってた

 

あなたが見ていた

終わりの季節

巡ってくること

匂いが また映すんだね

 

 

霧の海、燃えていく

19歳の 僕らは

いつだって 退屈を

終わらせて 欲しかった

 

いるはずの君なんて

どこにも そう

いなかった

消せないね、何もかも

裸の目、それだけが。

 

 

宙に舞う 花弁

もう掴めなくて

遠くの庭先

時間はもう 止まった

宙に降る パラソル

僕らを隠して

 

ああ、もう 見えないんだ

 

 

いつかここで僕が覚えていた

全てが ほら、薄れていくんだよ

間違いじゃない

触れたいなら、目を開けて

 

花は ここで

燃えてしまうね、弱いから。

美しくて 間違いは 

もう見えないまま

声を忘れる。

 

 

 

12月が過ぎて

夕焼ける 花束

愛していた日々と

帰れない 青さを

 

もう4月になって

散る花、陽の匂い

僕ら いつも 

逃げ出せないままで

 

 

いつか僕は忘れていく、

覚えていたかったけれど

海に指を、 掴む花も

手の鳴る方、さよならだね。

 

 

窓を開けて 窓を開けてよ

いないけど

 

手を広げて 海に触れても 

いないよ もう

 

 

目を忘れない 手も忘れない

愛されていた

もう いらない

 

目が覚めたら、目が覚めたら

もう 忘れるよ

 

 

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時間は止まったまま

 

窓から見えていた景色達は、いつだって触れないから綺麗だった

 

陽に透かされた朝

地面に散った桃色 

団地街に暮らす子供達の声 

海の匂いがする水辺

 

あの頃のまま、身体だけが育っていく

 

 

 

あなたの目なんて もう見えなくなってしまった事

窓の中に映る自分がどんな顔をしていたのかって事

 

思い出せなくなった

それでよかった

全部

 

 

今 僕は

たくさんの自己嫌悪と共に成り立ってる僕を愛しているし

あなたもきっとそうなのだと思います

 

そういう歌